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「福島原発被害東京訴訟の第1回期日のご報告」
福島原発被害訴訟東京 弁護団弁護士/山川幸生
2013年6月12日午前10時から、東京地裁103号法廷で福島原発被害東京訴訟(第1次)の第1回期日が開かれました。第1次原告3世帯8人の闘いが始まったのです。雨の中、多くの市民の皆さんが傍聴に駆けつけてくださり、100席近い傍聴席はほぼ満席となりました。
法廷では、まず、原告が訴状を陳述し、被告の国と東京電力が答弁書の陳述をしました。答弁書とは、訴状に対する反論や応答を書いたものです。なお、裁判(民事訴訟)では、書類の「陳述」は、書面を提出して「陳述します。」と言って済ませるので、実際に訴状や答弁書を読み上げるわけではありません。答弁書によると、国も東京電力も、それぞれ自分の責任について争う姿勢を示しています。
国は、具体的にどう争うのか明確にしていません。そのかわり、原告の主張の細かい点に「求釈明」(きゅうしゃくめい)という質問を投げかけています。たとえば、「○○等(など)」の「等」の具体的な内容を明らかせよ、などというものです。そして、求釈明に原告が答えないうちは、具体的な主張を明らかにしないという姿勢を示しました。
東京電力は、地震や津波について予測不可能であったなどとして,過失はなかったなどと主張しました。もっとも、東電は、原賠法に基づき、文部科学省の下に置かれた原子力損害賠償紛争審査会(原賠審)の定める指針に従って賠償する姿勢は示しています(ただし、今回の答弁書では、各原告に対して、どの損害について賠償の対象と自認するのかについては明らかにしていません。)。しかし,原賠審の中間指針等による賠償額は、被害者の方々が生活再建を行うには少なすぎます。特に、区域外避難者に対しては極めて低い金額の賠償で済ませてよいとしており、とても納得できるものではありません。東電の姿勢は、裏を返せば、中間指針等に書かれた以上の賠償には応じないことを示したものとみるべきでしょう。今後、賠償の範囲や金額をめぐって、厳しい争いになることが予想されます。
その後,原告であるKさんの意見陳述がなされました。
「当時8歳だった長男は、『帰りたい』と、ぐずる弟の口を塞ぎ、黙って涙をこぼしていました。」「(子どもが)マスコミにマイクを向けられ、『福島に帰りたい?』と聞かれた時は、うつむいたまま、『聞かないで』と答えていました。」--2児の父であるKさんの嗚咽を押し殺した声が、天井の高い103号法廷に響きました。裁判官も、弁護団も、傍聴席も、じっとKさんの声に聞き入っていました。Kさんの話が続きます。避難の日、子どもたちに3つしか持たせられなかった、おもちゃ。避難元で安全を叫ぶ人々。1㎡数万ベクレルを超える土の上でスポーツをする子どもたち。当時高専の先生をしていたKさんは、放射能汚染の影響で自分の研究を断念せざるをえませんでした。それでも、妻子を避難させて仕事を続けましたが、離ればなれの「二重生活」の疲労の中で、高速道路で自損交通事故を起こしてしまいます。幸い大きなけがはありませんでしたが、同じ「二重生活」者だった妻の友人は似たような交通事故で亡くなったと聞きました。
「二重生活」の間、週末に避難先を訪ねるKさんは、そのたび福島に戻らなければなりませんでした。「車を見送った後の次男は、布団に駆け込んで泣き続けていたのだと、後になって妻から聞きました。」「息子を抱きしめて『ごめんね』としか言えなかったという妻の言葉に、胸が締め付けられる思いでした。」
緑の美しい街。しかし、山菜も、イワナも、キノコも、アイナメも、食べられなくなりました。「(福島の)豊かさの全てが、放射能汚染によって奪われてしまった」。最後に、Kさんは声を詰まらせながら、3人の裁判官に向かって、やっと絞り出すように、訴えました。「このような悲しみと苦しみの中にいる私たちの叫びに耳を傾けてくださいますよう、どうぞ宜しくお願いします」。
続いて、弁護団共同代表の中川素充弁護士が、被害者の置かれた現状、東京電力・国の不誠実性、本件訴訟で問う被告らの責任、裁判所に求められることについて述べました。
「これまで司法は残念ながら,一部の下級審判断を除いて,これまでの原発,原子力政策を追認する判断を下してきました。この場でその判断の当否を問うものではありません。しかし,その結果発生したとも言うべき被害に対して,司法が,真摯に目を向けて被害回復に道筋をつけるか,再び,被害者の被害実態から目を背け,何重もの苦しみを与え続けるか,今こそ司法が問われています。」
法廷は、30分ほどで閉廷し、弁護士会館に場所を移して報告集会兼記者会見が開かれました。並行して、裁判所では被告の国、東京電力の代理人を交えて今後の訴訟の進行について協議を行いました。進行協議では、次回第2回期日は9月11日10時から、第3回期日は11月27日13時10分から、いずれも103号法廷で行うことが決まりました。
弁護士会館での報告集会には、約100人が参加しました。立ち見の人も部屋に入りきれず、多くの方が会場の外にはみ出していました。中川弁護士が訴訟の内容について解説し、弁護団事務局長の吉田悌一郎弁護士が進行協議の結果を報告しました。
中川弁護士は、この席で、裁判所の訴訟救助の決定に対して、国が一部の原告について即時抗告(高等裁判所に対する不服の申し立て)を行ったことも明らかにしました。訴訟救助とは、原告が納める手数料の納付を猶予するというもので、被告の国にはあまり関係のないはずであり、即時抗告は異例のことです。こうした細かい点でも、すべて争っていくという国の姿勢が表れています。この国の即時抗告のため、1世帯については、国との関係では裁判の審理がスタートしませんでした。大変遺憾なことです。
吉田弁護士は、閉廷後の進行協議で、国側が、原告や弁護団の意見陳述を毎回行うことに難色を示したことを明らかにしました。裁判所は、これに応じませんでした。国は、原告がこの裁判への思いを裁判官に訴える機会を減らそうとしているのです。こうした国の姿勢は、批判されるべきでしょう。
記者の皆さんの質疑応答も活発に行われました。
そして、今回の第1回期日に駆けつけていただいた大阪、かながわ、千葉、浪江町、兵庫の各地の弁護団の皆さんや、公害裁判を闘ってきた皆さんからも、激励の言葉をいただきました。最後に、サポーターズの代表呼びかけ人の信木美穂さんがひまわりちゃんと一緒に裁判のサポーター登録を呼びかけて終了しました。
以上。